はままつくんを指導するはままつ様
はままつくんと一緒に谿を徘徊するようになって随分と経つ
どれくらい経つのかは如何でもいい話で
とにかくあれからずっと、、いまに至るまで
あちこちで釣りをしたり
谿沿いの河原で寝たり
釣りの季節が終われば山へ登ったりもしている
![]() |
若いころのはままつ名人 |
二人で釣り歩いていた頃は
それはそれはベテランの方々が彼方此方の谿間を席巻していたので
ワタシたちなどは いつもおこぼれを頂戴するかのごとく
目立たない細流へ入り込んだり
名人たちが云う”過去の川”的な場所をこっそり掘り返したりしていたのです
しかし 過去の川は”過去の”と枕がつく通りの事が多く
もちろんその逆で過去は過去
今はすっかり復活を遂げてますよ といった谿沢もあったのも確か、、
とにかく いつも地形図を見ながら”どっかいいとこないですかね”というのが常だった
(これは紙図が液晶に変わっただけで 行いは今も変わらない)
それでも時々善意の情報源が突然現れたりもして
それはそれでなかなか楽しく過ごしていました
釣りの帰りに偶然入り込んだ飯屋
(ここの衆らは名人というより職漁師に近いのかもしれない)
そこは二人で勝手に”獣屋”と呼んでいたちょっと怪しげな店で
何度目だったかは覚えていないが
”あんたら今日も釣りか?”と言われたのが始まりだった
その日
”うちの弟が今からデカいアマゴ持って帰ってくるからちょっと待っとけ”
そんな事を言われたんだったかな
しばらくすると本当に大きなアマゴを携えたゴツイ弟が店に入ってきて
”ほらっ あそこで獲ったやつだよ” と言って籠の中を見せてくれた
一緒に収まっていた杉の葉っぱみたいに見えたいわなだってそこそこの大きさで、、、
実際そこはかなりの険谿で
まだまだ甘ちょろかった我々には日帰りでは二の足を踏むような沢だった
その頃だって そこそこの釣果はあった我々だったが
彼らは わりとあっさりとあの谿へ行って
お目当てのさかなを獲ったらさっさと帰ってきて
飯を食っている我々に*イワナの煮つけまで出してくれた
あの時は正直感心させられた というより単純に凄いなと思ったのを覚えている
*いわなの煮つけは旨いです
おまけに彼らは 聞けばなんでも教えてくれた
何時だったか 〇〇の集落は知ってるかというので
そこならこの前入り込んだと云うと
あそこは今年移植したばかりだから小さいだろ 入るならその隣へ行けと
更には あっちなら去年入れてあるからサイズもよかろうと指導してくれた
そう言った後で にやにやしながら
もっともあんたらはリリースするらしいからどっちへ入ってもいいけどな
とも言っていた
*発眼卵や稚魚を入れるのではなく その沢か隣沢のさかなをカミ手へ上げていたと聞いた
あの人らは さかなを獲ってそれなりに利用していたのだけれど
たとえば尾根を跨いで 今年はこっち来年はあっちといった具合に
その年手を付ける沢をある程度決めていたようだ
もっとも彼らがそうするうんと前から
山で働いていた衆らは
そういうやり方で 沢という沢に(例えばいわな)さかなを移植して増やしていたわけで
なので此処と向こうは似たのが掛かるけど
その先の尾根を跨ぐとまったく違うのが居るよね
なんてのはよくある話なのである
おそらく ここまでは田吾作さんの猟場か薪炭の山だけど
ここから向こうは権之助さんの山だからってことなんだろうと思う
飯を食いながらそんな事を想像したりしていたものだから
それまでなんとなく気になっていた居つきと放流のさかなの事やら
あっちのさかなとこっちのさかなのちょっとした様子の違いなどは
もう如何でも良い話となってきていた
それも 大昔の話ならともかく
内水面に関する一応の決まり事がある現代に
自身の都合でさかなを動かしている衆が今でも(数十年は経つが)居るのだ
おまけにそこへ釣りに行きなと彼らは言うのである、、
この手の種の話については(この手と同じでは無いよと言われるかもしれないが)最近再燃しつつあるようだけれど
個人的にはあの時を機にすっかり醒めた感じである
獣屋の衆もそうだけれど なんといっても先人たちの行動力は凄まじいのである
這う這うの体で辿りついた深山の源頭にまでしっかりとした生活の痕跡があり
そういう風景を見せられると そこのさかなの素性などに拘っている事自体むなしくなる
昔の山師らは晩のおかずにとさかなを入れて
そして頃合いを見てそれを釣ってただけ
そして獣屋の人らはちょっとした食材調達に
その日狙いをつけた沢に入って
何事もなかったような涼しい顔で帰ってきてワタシたちにそれをふるまう
どちらもただそれだけの事なのである
ところで あの店はもうない
いつの間にかなくなって
今は何があるのかさえ分からないくらい様変わりしてしまった
![]() |
とす名人 |
”下手くそだからだろ”
最近は 場合にもよるが うっかりこんな直接的表現を使うと大変な事になるらしいが
その頃はなにも考えずに ”なんで釣れないんだろうねぇ” なんて口走ったりすると
容赦なく ”下手だからじゃないの” なんて答えが返ってきた
もちろんその時に下手くそ呼ばわりされた奴にしてもだ
それはそれは可なりの腕前なのである
もしいまも生きていたら(生きていますけど)名人と呼ばれても良いくらい釣るのです
いずれにしても ほんとに良く釣る奴らはいっぱいいました(今もいるけど)
なので いちいちそんな奴らを〇〇名人とか〇×名人とか呼んでるとキリがないので
一度も呼んだことはないですけどね
そうそう ワタシの場合小さいのばかり掛けるので
数釣り担当とかしょっちゅう言われてヤジられてました
そしてその癖は未だに抜けてません
いろいろ様変わりするなかで全く変わらないでいるのも大変なんですよ
ホントに
![]() |
後の多摩川森林組合組合員 にしやま名人 丸太ん棒と一緒に |
最近はどうも潮目が変わって来たようで
名人ではなく学者先生や博士みたいな人が増えた様な気がします
もっともそう感じるのはネットに上がる様々な情報のおかげ(弊害)かも知れません
兎に角 誰でも気軽に発信できるので 見ているこちら側にも余計目にとまるんでしょうね
ちょっとタイプして検索すれば大体の答えが得られるし
そもそもタイプせずとも画像自体をいきなり診断してくれるので
花や草木なんかを調べるのは本当に便利になりましたが
あまり興味のないモノを次から次へと見せられるのはちょっとゲンナリさせられます
![]() |
いぬもそうですがトラ柄が好きです |
さて
名人が減って偉い先生方が増えてきたのが良いことなのか如何かは分かりませんが
偉い人の発信や持論に傾倒し深みに嵌り
ある種 狂信的な釣り人が増殖してしまう そんな事にはならないで欲しいと
そう切に願うばかりです
名人だらけってのはやたらと微笑ましいんですが
論客だらけの谿底ってのは、、、
ちょっと薄ら寒い感じしかしませんよね
未だデジタル元年 ふらい麻呂
0 件のコメント:
コメントを投稿