2021/09/19

近所の谿沢で

 


なんのかんの言いながら週に一度くらいの割合で谿沢へ通っている

 

 

ここ最近もその習慣通り

仕事でもないのに眠い目をこすりこすり車を出し

なるべくひと気の薄い谿沢へと足を向け続けている


遠くの川へ行く事は滅多にない

むしろ近所の谿沢へしか行かないと断言してもいいくらいに

”近所”や”遠く”という概念はひとそれぞれだけど

わたしの場合の”近所”というのは

街道伝いでも高速道路を使ったとしても車で一時間か二時間以内のところである

なので二時間を超えた場合 それは全て”遠く”という事になる


そのような事由から行動半径は巣穴からおよそ100kmといったところだろうか

これは動物にしたらそこそこのエリアだ

そう考えばそれほど狭い世界でもない

と云うよりもそれくらいの世界で十分に満足している


とにかく遠くへ行くのが正直苦痛なんだな

苦痛というと少々語弊があるけど

長距離(長時間)移動が嫌いな理由をいちいち述べるのも面倒なので

ここは”苦痛”ということでいいと思う


それでもあえて説明を加えると

車で(列車で釣りに行くことはないので)何時間も移動するのは無駄だと思っている

かけた時間と釣果がはっきりと比例(良い方向に)するならそれも我慢ができよう

しかし世の中そう上手く事が運ばないのが常である

車を降りてすぐに糸を垂れることができるような川での結果はそれほど期待できない

と云うのがまあまあ通例である


例えば車で二時間よりも 車で四十分 後に歩いて一時間で約二時間かけた場合

この場合 前者の車で二時間降りて直ぐよりも釣果は格段に上がる

誰もが願うサイズについてもまた然りだ

もちろん単に歩く時間が長ければ良いと云うことではないが

確率的には運転の時間が長いよりは歩く時間が長い方が好結果を得られる事が多い

(あくまでもわたし個人の場合です)

これについては違った意見もあるのは重々承知している

しかし悲しい(かどうかは別として)かな都市部に暮らす身としては

これが往々にして当てはまる現実なのである


とはいえそんな住環境にあっても近所(100km圏内)は山沢だらけである

なので毎回夢のような釣果さえ求めなければ

一年中それなりに幸せな釣りが愉しめるのもまた事実である


否定はしない 

遠くへ行きたい そんな願望は常にある

何時間もかけて行った先には見たこともない流れがあるのも人伝えには知っている

でもね 近くの谿沢だって全部知ってる訳でもないのに

それを端折って 欲をかいても、、、、と思っている

(もちろんそれに加えて経済的理由と云うのもあるが)


これは自身の山のぼりについての概念と同じだ

谿沢同様に いつでも遠くの山へ行ってみたいと考えている

しかし行くのはいつも同じ山

そこは近所で ひと気が薄く 何時だっていぬと一緒に行っても安心できる山

なのである

要するに 遠くに行ったとしても人がいる(割と大勢の)

人がいると 望むか望まざるか(良いことか悪いことか)を問わず何かと事が起こる

だったらせっかくの休みなんだから平穏に(誰にとも関わらず)過ごしたいと願うのです


人がきらいと云うんじゃないんですが

できれば”谿沢野山では一人で居たい”といつもそう思っているんです

都会住まいではないけれど そこそこ人の多い街で暮らす身としてはね、、、。

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