2021/04/17

やまめつり


今年は春先から妙に暖かい



ここしばらくは(何年もの間)

春先の寒い時期にやまめをつりに行くなんてのはほとんどなくなりました

もちろん 以前は うんと寒い時期から熱心に谿沢へ通っていたこともあるんですが

そんなのは一体いつくらいまでの行事だっんでしょうか

今晩メシは食ったんだったけか、、、くらいの記憶は幸いあるんです

しかし これが年単位の話となると、、、かなり怪しくなってきましたね



往々にして さかな釣に行く時というのは 暗いうちから寝床を抜け出し何時間も運転する事になるのですが

多少の事は熱意さえあれば平気です どうにかなります なのでろくに寝なくても大概は平気でした

それと 早くに出発するというのは 夜明けの車止めでぶるぶる震えながら身支度をするためなんですね

これもある種 どれ程の情熱があるかを試されているわけでして

なので寒さに耐える事でその溢れる情熱を証明して見せたものです


そうして儀式めいた小さな試練を終えるといよいよ陽が昇ってきますので

後続の衆らが来ないうちに そそくさと(きょろきょろしながら)谿沢へ下ります

谿底についたらさっさと仕掛けを組み 毛鉤を結び 今では想像もつかないくらいの手際で釣を開始していました


それが 徐々に徐々に釣へ出かける時期そのものが遅くなり うちを出る時間もまた同様に遅くなって行きました

谿へ下り降りるスピードこそそうは変わらないと思ってはいますが それについてはよくわかりません

決定的に遅くなったのはやはり仕掛け作りですかね

テグスや毛鉤を結ぶのにやたらと手こずる事が多くなりました

その他に ひらげた荷物を再び仕舞うのにも結構な時間を費やしています

何故かいつもルックサックの中身を全部出してしまうんですが

こればっかりは今に始まった事ではないので 釣りだし遅延の要因ではないと思われます



まあ つり初め(開始も含め)が遅かろうとさかなが掛かればそんな事は如何でもいいのです

なんと言っても なにもかもがいつまでも昔のままという訳にもいきませんので

もっとも それについて(釣とかさかなとか)の考え方といいましょうか 思い入れとでも言いましょうか

さらには 例の熱意と情熱にしても そういうのはかなり変わりましたが、、、



例年三月半ばからの釣行開始が二週間もずれ四月の初めになり そのうちに四月も終わる頃がその年の初めとなっていきました

そもそもこの時期にあの長い連休が無ければ ”四月の終わり頃” というのも怪しいものです

ただ その頃にどうしても一回くらいは行っておかないといけません

何故なら ”そうでもしないと五月の半ばまで棹を振らない事態に陥ってしまう” のですからね

(誰に気を遣うでもなく)、、、それは いくらなんでも そういうのはまずいんじゃないかと

それで 皆が連休を取る前の陽気の良い日に思い切って出かけるんです

そして ちょっとした安心感を得るわけです



釣に行かない理由と云うのは普通あまり思い浮かばないんですが この時期に限ってははっきりしています

それは 寒くて おまけに ろくに釣れない からなんですね


この時期にそんな喜びの薄い谿沢へわざわざ出かけるよりも

いぬと一緒にその辺の山を歩く方がよほど愉しいからというのもあります どちらかと云うとそれが一番の理由でしょう

なので 山に(わりかし近くの)雪が残っているうちは迷わずやまへ行こうとなります

兎に角 春にそこいら辺の残雪の中をいぬと一緒に歩くというのはとても愉しですからね

というか とても幸せなことなんです



”一緒に” とは言いましても

いぬは大体いつもはるか遠くの方を歩いていています

それでもたまに ワタシがときどき立ち止まって景色を眺めていたりすると

ずいぶん先の方からいぬが戻ってきて そしてちょこんと足元に座り此方をみあげたりします

そんな事が起こるのはうんとたまになんですが そんな時の幸福感ときたらひとしおです



それから春には陽もうんと伸びるので

冬の間のようにせわしなく下山する必要もなくなります

出だしの遅い者にはありがたい季節ですね

何より 歩いていてる時も立ち止まって遠くを眺めている時も本当に心地よいときています

さらには 運よく風がやんでいる時なんかに稜線や山頂にいる事ができた時なんてのは最高です

だから 釣れないのを承知の助で凍える谿沢の流れに浸ってさかなを追うなんて

そんな考えに及ぶはずもありません 



しかし 今年は近場の山にろくに雪がつかないままあっという間に春爛漫となりました

挙句はまだ三月だと言うのに初夏のような陽気で

サンシュウやミズキの黄色い花が咲いたかと思っていたら

あっという間に桜がひらき かと思えば極彩色のシャクナゲがそれに習って花を並べています

挙句にはズミまでもが満開で

これなら ”もう釣に行っても大丈夫” そう思ったとしても無理もありません


結局のところ そんな異変に急かされて

及ぶはずのない考えに及び 今年はせっせとつりに出かけています

しかしながら 当のやまめは そうやすやすと掛かりやしません

いくら暖かいと言っても水の中まで一気に温むものではないんでしょう

兎に角 やまめ釣というのは なかなか此方の思い通りにはいかない様です

これには陽気だけじゃなく手前の技術もありますので仕方ありませんね



釣れないとなると自然と他の事に目が向きます(気晴らしに)

それが花だったり草木だったり鳥だったりいろいろです

これはこれで愉しいものですが

でもいつまでもぼんやり草木を眺めている訳にもいかないので再び棹を振るんですね

そしてまた今度は鳥を追う、、、思い直してまた棹振りを再開する これの繰り返しです

延々と毛鉤を振り込み続ければ日暮れまでにはどうにかなるやも知れませんが

気配すら感じないまま集落内の流れを遡り続けるのはあまりに面白味にかけます

となれば 一刻も早くに川から上がったほうが身のためという事になりましょう



早上がり(釣れなくても)にも良い事があります

というのは いつもだと とうに仕舞った蕎麦屋がぎりぎり商っていたり

または 土地の産物屋が開いてる時間だったりしもます

そしてその店先には 朝に畔を通らせてもらった畑に植わっていた菜っ葉だの

毛鉤を枝に絡ませた時に 遠くに見えたあの山裾で摘んできたであろう山菜やらが並んでいるんですね


今も昔も同じです

この春もいつだったかの春もやっぱり同じ様な春なんですね


何時までたってもへたくそで 特に春のつりってのはからっきしです

いつだって釣れないなぁとぶつくさ云いながら渋々沢から上がるんですが

あがったとこは大概畑の畔道で そして野良仕事の人から声を掛けられます

皆笑いながら ”つれたかね” って、、、、

で すこしだけ話をするんですが

そうすると ”クソっ”、、みたいに腹を立てたのがわりとぼんやりとしてきます


これが毎春の事なんです

青葉山女魚の時分の恒例行事です

ふらい麻呂

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