ここ数年 毎年恒例となりつつある九月のちちぶ
いつだったかは結構な高水で 右を左を高巻いての遡行だった
あの時の事を思えばその後の(今日もふくめて)遡行なんてのはなんと楽なことかと
ふたりして何処かの岩を仰ぎ見ては
ここをへっつっただの あの枯れ木まで登って巻いただのと
釣れなくなると そんなことを思い出して
あの日はまったく余計な仕事をさせられたなぁって、、、
前の日の晩に いつもの広場に六時でとの連絡が入った
六時ということは、、、普段釣に行く朝に起きる時間だ
それが 明日はその時間にちちぶに着かねばならぬときた
まじめな釣人というのはこの位の早起きは当たり前だから
ふつうに ”明日は5時ねぇ” とか ”誰かいるといけないから4時半かなぁ” なんて言ってくる
誰かに合わせて釣に向かうというのが無くなりつつあるワタシの様な者は
こういった正しい釣人の”起床時間の概念”と云うのを完全に失ってしまって久しいので
かなり甘い時間をリクエストされたとしても”うえぇ”大丈夫かしら、、と不安になる
ところで明日は
そういったきちんとした概念を再び備えるられる釣人に今一度回帰できる良い機会であると
そういう事とあきらめて(改心して)約束の時間に遅れない様にしたい
なにがなんでも朝(ふつうに夜だね)の三時には寝床を捨てる覚悟で、、、、
向かう途中の何処かは雨だった
で 途中のどこかでは晴れ間が見えた
いうなれば 悪くもなく良くもない まあまあな空模様だった
しかし 不気味な程真っ直ぐで長いトンネルを越えたちちぶは
そこは真っ白に煙っていた
ところであの真人間的問題についてだけれども
”改心”出来たかどうかはさておき
約束の時間ぴったりに滑り込む事だけは叶ったわけであるが
その代わりに
アレがないコレが無いとそれから0.5時間くらいすったもんだしていたもんだから
結局のところ車止めを後にしたのは多分七時に近かった様な気がする
それにしたっていつもよか随分と早い出だしであることには違ないのであった
歩き出して直ぐ 靄の中で中喜屋が言った”良い道があるんですよ”とかなんとか、、、
でも 結局のところ最後はいつもと同じガレを下ることになった
もうそろそろ ホントに”良い道”だと呼べる そういった道を辿って谿底へ降りたい
と 心の底から願うのだけれど 未だに誰もそれを許してはくれない
谿底へ降りたらさっさと支度を整えて釣る
ここまでの道がどうのとか そんなのは二秒くらいであっさり忘れてしまうのであった
今年は去年の台風の影響なのか何処へ行っても魚影が薄い
ここらも例に漏れてはいない様で彼もそんな事を言っていた
現にしばらくはなんの気配もなかった
さかなの影が薄くて釣れないからなのか 単に体力を持て余しているのか
対岸を見ると 中喜屋はいつも黒い岩に手をかけ 時に棹を咥えて
高水を妄想しながら遡行を愉しんでいる様にみえた
ワタシはというと 夏の続きのつもりでウレタンを投げ続けた
問題の”釣人時間”に関していえば一応の改善が見られたのだが
こと”釣”そのものに対しては ”改心” などどこ吹く風といったところである
さかなが 傍にいないなら(すくない)こっちがみつけるより向こうにお願いしようという
そんな 待ちの(キミらがオレに合わせなさい的な)つり
--- いいかいさかなたちよ オレはキミらに合わせるような事はしないんだよ 決してね ---
こういった”心がけ”だけはこれからも変わらないと そう誓える
しばらくの間 ボッカンボッカンとデカイ鉤を投げ続ける
すると此方の思惑通りにウレタンの下に縛ってあった大きな鉤にやまめが掛かった
ちょっと怪しい所に刺さっているようにみえたけれど
そんなものは何処に掛かろうが 掛けてしまえばこっちのものである
とりあえず朝のうちにさかなに触れらた喜びもあり
勢い ”これでオレは坊主じゃないよ” って中喜屋に向かって叫んでやった
シメシメ、、、九月のちちぶで
これはもう半年以上も前の事だから
おぼえているのはこのくらい
その後の事といえば
谿を抜けるのに登り返した支尾根がいつもより短く感じた事くらいだろうか、、、
解禁したばかりですが 昨年の禁漁の頃の話でした
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