2020/09/10

短い夏

 

夏と言えば いわな釣の季節だ


”暑いからね”
なんて言いながら うんと標高をあげていわなを釣に行くのだが
出来れば(常に)アマゴも釣りたいときている
あれもこれもといった欲は捨てがたいものだ

都合よく
まれにアマゴが混じって とても涼しくそして遡行も楽な谿がある
近年それが掛かる事は非常に可能性が薄らいでしまったが
涼しくて快適でさらに運が良ければ両方釣れる
ならば 多少の問題があったとしても通う理由にはなる

此処らでいつか見た大きなアマゴ
遡行していく毎に現れる棚の淀みには必ず大きなアマゴ
あのアマゴらは一体どこへ行ってしまったのか
今では小さなそれすら見かけなくなって久しい
このままいわなだけの谿になってしまうのかしら、、、


悲観したところで事態が変わる訳でもなし
それ程釣りたいのなら ここよりうんとシモへ降れば容易に掛けられるのだ
ただし大きいか小さいかは別にしてね

でも カミ手のアマゴを掛けてこそと
そんなくだらない何かに取り憑かれているのか
それとも なんだかんだと言いながら
決して期待を裏切らないいわな釣りに日和っているのか

結局のところ 今宵もいわないわなで日が暮れる


当たり前だけれど
日が暮れる前には谿を抜けた
抜けた頃には暮れてしまったいたけれどね

この日は何をとち狂ったのか
その昔 いつもそうしてたように
適当な支尾根に当りをつけて谿から這い上がってみた

けれど 釣終わってからのこんなアルバイトはもうゴメンだよ

いくら沢通しに降るのが億劫になったからといえ
これからは素直に来たみちを戻る事にしよう
心の底からそう思った というより 思い知らされた

ただね
森を抜ける間に蝶やカエルやフンコロガシなどなど、、、
登って行く毎に藪から現れる生き物たち
それらを愛でるのは正直楽しいものである


が しかし
本当のところは
息が切れて立ち止まり
そうしてから うんと時間をかけて息を整えるのだ
すると 虫やらカエルやらが視界の隅で動くものだから、、、
要するに偶然それらを発見するに至るという次第である

そこで
これ幸いとばかり
我はそれらを愛でたいからこうしてるのだと
なんとか都合のいい言い訳を考えて取り繕うのだ

それは誰に向けてというより
くたびれ果てて可哀そうな自分に対してなんだけれど
それにしたって一体なぜそんな体裁を取り繕う必要があるというのか、、、

まあ とにかくそんなくだらない事をグダグダ考えるしかないんだな
なんといっても地面しか見えない急登で喘いでいる時なんかは特にね

そんないらぬ事に思いを巡らせているうちに突如我にかえる
あそこに見えるのはガードレールかしら、、、と

道にあがるとやたらと涼しくて
年々夏が短くなっているとあらためて気づかされる

八月の始めに
八月の終わりを想う

歳ばかり食ってしまったふらい麻呂 まったなし

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