この辺りへは 漁期のはじめと仕舞の時期に通うのが常態化して久しい
もっとも 暫く遠ざかっていた期間もあるにはある
それは釣果ばかりに気が行ってたのが一番の理由で
とにかく あまごあまごおおきいのおおきいのを とガツガツしていた割にそれほどの結果が伴わず
それなりに遠出してきているのに、、、
と言った理由で自然と足が向かなくなっていたのだ
最近は(といっても十年単位なので相当経つが)そんな欲も一段落したのか
朝に高速道路で渋滞に嵌ったりしたとしても
あれ 分離帯に生えて実をつけてる植物の正体はなにかしらとか
やたらとカラスが集っているけれど あの辺りには一体何があるのかしらなどなど
到底これから渓流釣りへ行く者とは思えぬような
ある種この不愉快な状況が他人事でもあるかの様な
そんな余裕を持った心持でやり過ごせるようになってきている、、、、のか
実際はありとあらゆる面で余裕などは無いのが事実で
要所要所で --- PAに寄ったり 料金所をくぐる度に --- 時間を気にしてはいるのである
ある時期から釣りは午後から始めよう
旨い事 事が運べば
昼前から釣りになれば御の字だくらいの気構えで向かうようになった
これは 秋のあまご釣りに限った事ではない
真夏のいわなにしても同様で
酒屋によったり果樹園によったりしていると
入渓点に辿り着く頃にはお昼になってしまうのである
早朝に里にいたのでは それこそ累々とある幸せな目的を果たせなくなる
これは昼開始を望むか望まないかではなく
例えば 桃が欲しければ それは必然として釣りは昼から となるのである
さかなはいつでも釣れるのだ しかし 桃や葡萄は今しかないのだから、、、
季節は秋で
果物は早生の蜜柑なのである
とにかく 今期のあまご月間も定例通り昼から釣るのだ
集落の狭い村道の端っこを借りて支度を済ませ川へ下る
始まりは だいたいウグイかカワムツくらいしか反応がない
時々あまごの背中が見えればマシなくらいで
まあ普通に 行けども行けどもなにも起こらない
そんな中 この時期によく見かけるのがかまきりの入水なのであるが
これは本当にせつない、、、、
一向にあまごも釣れてこないので これが更にせつないのだ
くどい様だけれど 季節は秋で
寒くも暑くもないのがせめてもの救いである
が 地の果てまで来て釣果があぶらめだけでは、、、とも思うのであった
年を追うごとにあまごは小さくなってくる
他の方は如何かしれぬが
このままでは 来年には小指くらいのしか釣れない様な気がしている
釣れればまだ良いが、、、とも思うくらいである
いっそ来年は
秋になったらオイカワでも釣りに来ようかしらとも考える
こんなに遠くでなくて
だけれど蜜柑とかも手に入って
更に小高い山並みが近くに見える里の川で
延べ竿に毛鉤をいっぱい並べて
日がな一日過ごすのは如何かなと思うのだ
という事は やはり未だ欲の塊 釣果至上主義なのかもしれない
秋に南の方で 釣れないあまごを偲んで
ふらい麻呂






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